寄り添う
- きらきらおばちゃん

- 14 分前
- 読了時間: 2分
2026/3/11(水)

あれから15年。
夕べ、親を失った子ども達のその後の特集があった。
当時、私には何も出来ないけれど、横に座り、気持ちを聴いたり、何も話さないけど寄り添うことは出来る。一緒に泣くしか出来ない。
と、当時のブログに挙げたことを覚えている。
福島から身重な体で新潟に避難し、そのまま新潟でお産し、手技の依頼で何回か伺ったお宅があった。
そのご家庭のことを昨日ふと思い出した。
あの赤ちゃんももう14歳だなぁ。
今はどこに住んでるのかなぁ。
一生懸命なママだったなぁ。
石巻の中学生が詠んだ句集を今年からまた何回も読み返している。読むたびに泣けてくる。
この子達ももう30歳。
今、どんな大人になっているのだろうか。
夕べの特集でも、大人になったその子達に今どんな支援を求めるか、と問いたところ、
気持ちを話せる場所
気を使わなくても素直になれる人
寄り添ってくれる人
それらを求める。
みたいなことばがあった。
震災だけではない。今の社会、みんな生きにくい社会の中を一歩一歩足を前に進めている。
あ〰️もうイヤだぁ!と思う事も多々ある。
この先どうなるんだろう。と不安が強くなる事もある。
そんな時に、気持ちの表出を許してくれる友、人、を私も求める。
でも、おいそれと、いない。
家族の中にも遠慮や利害関係が発生したりする。
だから、言えない。
なのに、私は逆の立ち場は出来るのだ。
逆に、だからこそしたいのだ。
ただ寄り添う。
求めるからこそ気持ちが分かるためだろうか。
いつでもおいで。呼んで。
ボソボソと声に出してみて。
受け取るから。
受け取ったものは流すから。
変なおばちゃん。
重いおばちゃん。
そんなおばちゃんがここにいます。
今日は数ある鎮魂の日の1日。




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